"Fullness" 田中いづみ という生き方
東京〜ニューヨーク に生きる ----- ダンサー、振付家、女性、妻、母、人として

「田中いづみ連続ロングインタヴュー」by上野房子

第2回 表現者として手応えを感じた「田中いづみダンス公演----そして今、」

〜新作『here and after』にこめた<今>の思いと、<その後>を語る〜

 東日本大震災から8ヶ月の時が流れた2011年11月10日、東京・青山の草月ホールで、田中いづみは「そして今、」と題した公演を行なった。そこで発表した『here and after』は、東日本大震災以降の<今>に向き合い、<その後>を見据えた作品である。その舞台は大きな共感を呼び、現代舞踊協会が制定する江口隆哉賞にノミネートされる等、従前の作品に増す反響があったという。
 第2回インタビューでは、『here and after』の創作プロセスと今後への展望を田中が語る。彼女の言葉を通して、客席からは知り得ない<作品>という大河の源と、最初の一滴がやがて河となる道程、その河が流れていく先を探ってみたい。

『here and after』の源流

-----2011年11月の公演に先立ち、盛夏の東京で『here and after』の先行バージョンが産声をあげた。田中を含む総勢25人の振付家が、2日間にわたって各々10分の作品を発表する合同公演「現代舞踊展」にお目見えしたものだ。

第38回現代舞踊展

上演日:2011年7月8日
会場:メルパルクホールTOKYO
主催:東京新聞
後援:社団法人 現代舞踊協会

  東日本大震災の直後に『here and after』の創作を始めた時、自分のなかに戸惑いがありました。 この時期に踊りをやっていいのか。ボランティアとして被災地に赴き、実際に被災者の役に立つ活動をすべきではないのか…。創作意欲はあるけれども、行動に出られない時期がありました。 でも、震災後、多くの舞踊公演が中止を余儀なくされたなかで、現代舞踊展は予定通り開催されました。悩んだ末、私自身が、今、自分にできること、為すべきことをし、自分が感じていることを表現し、偽りのない自分を見せるしかない、とい思いに至りました。
 私達は、今、生きている。生きている人間として出来ることをやるしかない、前に進まなくてはいけない。同時に、前に進もうとしても、進めない状況にも陥っていた。それなら、自分が生きていることを自覚することから始めればいいのではないか。そして、一歩でもいいから前に進んでいけばいいのではないか。そう思って創ったのが、『here and after』の10分のバージョンです。9人の女性ダンサーがそれぞれ自分の思いを踊り、やがてひとつにまとまっていく、という構成でした。11月には男性2人を加え、45分に拡大した新たな作品として上演しました。

『here and after』

この時に生きている私達、自己の存在を確認しながら、一歩一歩前へ踏み出そうとする、今
構成・振付・演出:田中いづみ
音楽:Ryuichi Sakamoto
dance:
1)栗原美沙都、赤石賀奈子、滝本彩和子、矢澤亜紀、森田美雪、竹田萌恵
2)島田美智子、乾直樹、杉山美樹、山本裕
3)乾直樹、山本裕
4)島田美智子、杉山美樹、栗原美沙都、赤石賀奈子、滝本彩和子、矢澤亜紀、 森田美雪、竹田萌恵、 乾直樹、山本裕
5)田中いづみ


 最初の場面では、若い女性達それぞれの<今の自分>を踊りにしました。二つのデュエットが続きます。一つ目は命の源の踊りです。 胎内のような空間に、性別のつかない状態で二つの命が生まれ落ちる。男性がフロアに腰を下ろし、女性を包み込んだ場面から始まります。二つ目は、社会に生きる男女のデュエット。駆け引きや別離があり、でもウェットではなく、どこかドライ。恋愛をする時に人が辿る道に似ているかもしれません。
次に、二人の男性がはちきれんばかりにエネルギーを発散させ、彼らの<今>を見せます。 観客を笑わせる意図はなかったのですが、二人が 競い合うように踊り奇妙なポーズを見せると、しきりに笑い声があがりました。そして、私以外のダンサーが全力で群舞を踊る。ジャンプして弾けてパワーを炸裂させて退場、暗転の後に私が登場します。私は若いダンサー達とは違う次元に居る存在で、彼らを見守り、見届けます。ソロを踊り、全員がキャンドルを手にして静かに集うフィナーレへと導きます。
 本番では、ダンサーとスタッフと私、この舞台に関わった全ての人が一つになれた、と感じました。 自分でプロデュースをし、振付をし、演出をし、音楽構成をし、出演した公演ですから、苦労も多かったけれど、全てが報われたました。開演前に、踊りはテクニックではない、心をこめて踊ることが何よりも大切だと、ダンサー達に声をかけました。本番では、本当に心のこもった踊りをしてくれ、全員が一つになれた。感謝しています。

田中のソロが大きな共感を呼んだ

-----田中のソロは、圧巻だった。舞台は暗転を経て、静寂に包まれる。と、舞台後方の扉が開き、冷たい外気とともに田中がステージに足を踏み入れる。枯れた木々のシルエットが投影された無人の空間を彼女は慈しむように見やり、祈るように舞う。灰燼に帰した大地を見つめる眼差しの深さ、そして蘇ろうとする自然、あるいは人間の力が見る者の心に沁みいる場面であった。

 このソロには、震災を乗り越え、向かうべき所に向かっていこうとする気持をこめています。震災で亡くなった方達の御霊に捧げるレクイエムでもあります。この公演を機に、観客自身が震災時に経験したドラマを呼び起こし、そして震災に対する思いを新たにしてくださることも願っていました。過去に固執してそこに滞ってはいけない、前に進まなくてはいけない、でも風化させてはいけない出来事、思いがあるのです。
 多くの方達が私の思いを受け止めてくださり、表現者として本当に嬉しく思います。初めて踊りを見た人、久しぶりに見た人、批評家。色々な立場の方々が、同じ思いを共有してくださった。 この公演で、現代舞踊協会が制定する江口隆哉賞へのノミネートを頂きました。コンテンポラリーダンス公演を企画する劇場のプロデューサーは、見る人に訴える力、感動させる力が漲っていた、と熱い言葉をかけてくださった。 次のような感想も頂きました。「ソロを踊る彼女の、世界を包み込むようなスケールの大きさに感銘を受けた」、「田中いづみというダンサー、そして人間の人生が凝縮されていると思った」。まさに、これが私のやろうとしていたことなのです。抽象的な作品を作るのではなく、自分が伝えたいテーマをダンサーと自分の体、作品を通して描き、見る人に訴える。手応えを感じる公演となりました。


江口隆哉

 日本の現代舞踊のパイオニア、江口隆哉(1900〜1977)の名前を冠した賞。1983年に現代舞踊協会が制定し、現代舞踊の分野で優れた新作を発表した作者に授与されてきた。2010年度より、舞踊のジャンルに関係なくノミネートされるようになった。舞踊家、舞踊評論家等の有識者が選考委員を務めている。


 公演直前に第1回インタビューをホームページに掲載した際にも、沢山の方からコメントを頂きました。実際に公演を見た方は、インタビューを読んで、私の思いがよりよく分かった、と言ってくださった。いらっしゃれなかった方も、私の思い、考えを、踊りを通して表現しようとしている事に感銘を受けたと。あるダンス関係者は、「踊りの指導は単に技術を教えるものではなく、人間としての私の生き方をも伝える手段、そこには、パーソナルなコミュニケーションが介在する」という部分に共感してくださった。ダンスとは表面的なテクニックを越えた、奥の深い表現なのです。踊りは人間そのものなのだ、自分を表現する素晴らしい手段だと改めて感じてくれた人もいて、私自身、勇気づけられました。

我慢に我慢を重ねてから、一気に振り付ける

-----作品という大河の一滴はどこから生み出され、どうやってたゆとう流れに発展していくのか。ダンサーにも観客にも知り得ない、創作のプロセスを再現してもらおう。

 まず最初にテーマを考えます。たとえば本を読む、新聞を読む、美術館に行き、ありとあらゆる所からアイディアを引き出す。といっても、美術館で絵を見て感動し、インスピレーションを得るのではなく、まったく関係のないイメージを思い描いて、作品に取り入れていきます。夜、入浴時や就寝前に考えることが多いです。アイディアが浮かび出すと、どんどん出てくるので、すぐに書き留めます。そんなことをしていると、眠れなくなってしまいますが(笑)。
 『here and after』の場合は、前に進みたくても進めない時期に思い悩んだ末、テーマが定まりました。つまり、自分の生を自覚し、前に進んでいこうとする思いです。そこから、場面構成を練る。ノートやiPhoneに、おおまかな情景や出演者の人数をメモします。

ダンサーの配置を考える時には、図を描いて、ここに何人、あそこに何人、ここから、あそこに移動…。構成を練り上げるうちに、頭のなかで徐々に振付が浮かびます。でも、まだ踊らない。構想が固まり、ノートの上と頭のなかで細部までが明確になる前には、一切、動きに入りません。我慢に我慢を重ね、振付をしたくてしたくてしようがない状態に自分を追い込みます。そしていよいよ振付をスタートすると、うわっと流れ出てくる。 いったん振付が形になると、カウントの取り方を調節したり、繋ぎの動きを加除したりする程度で、 ほとんど変更しません。じっくり時間をかける人もいますが、私は短期集中型です。 振付を仕上げるのは速いほうらしく、ダンサーにもよくそう言われます。 ただし、その前の段階で十分に時間をかけています。
 振付を始めたら、本は読みません。何を読んでも内容が頭の中を素通りして、踊りのことを考えてしまう。振付が終わるまで本を読んでも意味がないのだと、数年前にようやく自覚しました。
 ダンサーには、その人ならではの良い所がありますから、群舞の場面でも出演者一人ひとりの個性が出るように振り付けます。新規の出演者を選ぶ時にいちばん重視するのは、テクニックの優劣ではなく、人間性です。『here and after』では、二人の男性(乾直樹、山本裕)が初出演でした。舞台を見ただけでなく、何度も話す機会があり、彼らで間違いない、と確信を持った後に、出演依頼をしました。二人とも数多くの舞台に出ている伸び盛りのダンサー。全力を尽くして踊ってくれました。
 後日、出演ダンサーを自宅に招き、食事会をする慣わしにしています。公演の映像を見ながら、私の手料理を食べて、飲んで、大いに喋ります。 料理のレシピやナイフ&フォークの使い方を教えることもあります。 今回も大勢のダンサーが参加し、作品の稽古とはまた違う、楽しいひと時を過ごしました。

創作者としての、より切実な思い

-----これまで田中は、作品を通して、一貫して人間の根幹に根ざす問いを投げかけ、その答えを探求してきた。すなわち、人間とは何か、生きるとは何か、環境とは何か、という問いが、田中作品の根底に流れている。東日本大震災を経て、創作者としての視点にどのような変化が生じたのだろうか。

 根底に流れているものは変わりません。けれども、 私達が生きている社会が、瞬時に一変してしまう、という気持ちがより切実になりました。日々の生活に忙殺されて忘れてしまいそうになるけれど、朝、起きた時に、自分は生きている、ということを確かめる。 私にはそんな習慣があります。 子供の頃、父親に、勉強をしろ、とは一度も言われた記憶がありませんが、人はいつ死ぬかわからない、常にそう思って生きろ、とだけ言われて育ちました。その影響が大きいとは思います。東日本大震災以降、いつ、何が起きるのかわからないと、さらに現実的に感じるようになりました。今こそ、今を大切に生きたい、生きて欲しい。心からそう思っています。
 昨年の暮れから今年の正月にかけて、家族とケニアを訪れる機会がありました。行けども行けども、果てしなく続く広大なサバンナをジープで巡り、そこに棲息する野生動物を目の当たりにし、人間がいかにちっぽけな存在なのか、ということを改めて認識させられた。人類の歴史のなかの小さな点にしかならない時間しか私達は生きられない。日本という小さな島国のなかの小さな点にしかならない場所で私達は生きている。良い人生だった、と思えるように自分の人生を全うしたい。日々、一生懸命、やれることはやって生きる、という思いを新たにしました。

-----最後に訊ねた。2012年の今、振付家、ダンサーとして、田中の使命は何なのか。
『here and after』で<今>と向き合った彼女は、次のように<その後>を見据えた。

 自分の作品を通して、自分の思いを観客に届けることが、私の第一の使命です。でもそれだけで満足せず、モダンダンスやコンテンポラリーダンスという、自分らしさを最大限に出せる踊りがあることを世の中の人達にわかってもらいたい。今、自分を表現する様々な方法があります。たとえば絵画、音楽。ひとくちにダンスといっても、バレエがあればヒップホップもある。残念ながら、これらのジャンルに比べると、モダンダンスやコンテンポラリーは、 まだ一般の日本人にとって身近なものではありません。
 先日(2012年1月)、スイスのローザンヌ国際バレエコンクールで菅井円加さんが優勝したことは、私にとって朗報でした。コンテンポラリーダンスの演技が高く評価されたことが大きく報道され、テレビでもコンテンポラリー作品を踊る彼女の姿が繰り返し放送されました。多くの人達が、こういう踊りがあったことを初めて知り、その魅力に触れたのではないでしょうか。日本では、バレエに比べると、モダン、コンテンポラリーを見る機会が限られています。このジャンルを、このジャンルに関わる私達の存在を、もっともっと、世の中の人達に知ってもらうことを目指しています。


Interview and text by Sako Ueno 上野房子

上野房子プロフィール

ダンス批評家
共同通信、音楽新聞他に寄稿
翻訳書にヴァレリー グリーグ著「インサイドバレエテクニック 正しいレッスンとテクニックの向上」
明治大学・明治学院大学非常勤講師
目下、スキ・ショーラー著「バランシン・テクニック」の翻訳の仕上げに邁進している。